先日もお話したように、6月から8月にかけては、施餓鬼供養と盆会供養の塔婆の製造が中心となります。
現代では施餓鬼供養と盆会供養は共に先祖供養として捉えられていますが、もともとの意味は違ったようです。



今日は施餓鬼供養と盆会供養について簡単に説明します。
結論から言ってしまうと、もともと施餓鬼供養餓鬼への供養であり
盆会供養父母への供養(7代前までさかのぼる)だったそうです。




施餓鬼供養の由来ですが、昔、昔、お釈迦さんの弟子に阿難尊者という人がおりまして、阿難さんが座禅をしていると、突然餓鬼が現れて、こう言ったそうです。

『お前は3日以内に死ぬ。それが嫌なら餓鬼達にたくさんの食事をご馳走しろ!』
突然現れて、死ぬだ、食事をご馳走しろだ、図々しいと言うか、失礼極まりない奴ですね・・・。



困ってしまった阿難さんは、お釈迦さんに相談しました。
すると、お釈迦さんは、こう言いました。

『新鮮な野菜と海の産物をお供えして、修行僧に施餓鬼法要を営んでもらいなさい。そうすれば、多くの餓鬼が救われ、お前の命は助かりますよ。』
阿難さんは言われた通りにして、命が助かったとさ。めでたし、めでたし。
超簡単に説明しましたが、これが施餓鬼供養の由来であると言われています。
ちなみに・・・例え少量のお供え物であっても、お経の力によって、無限の供物となって、全ての餓鬼に食べ物が行き渡るそうです。



次に、盆会供養の由来について・・・。
これまた、お釈迦さんの弟子に目連尊者という人がおりました。
目連さんが、神通力で死んだお母さんの姿を探すと。な、な、な、なんと!
餓鬼道に落ちて苦しんでいるじゃありませんか!
阿難さんは母の為に一生懸命供養をしましたが、お母さんは餓鬼道に落ちたままでした。
困ってしまった目連さんは、お釈迦さんに相談しました。
すると、お釈迦さんは、こう言いました。

『お前の母親は、お前を育てるために、他を省みず施しを一切してこなかった。お前は自分の親だけ救われる事を祈り、お母さんの供養しかしなかった。だから今、お母さんは餓鬼道にいるんです。』
目連さんは母の霊だけでなく、諸々の霊の供養を行い、更に修行僧に施しを行いました。
すると、お母さんは餓鬼道から救われ、天界に昇る事が出来ました。
めでたし、めでたし。
この日が7月15日(8月15日の地域もあります)だったことから、この時期に盆会供養を行うようになったそうです。



施餓鬼供養や盆会供養は本来は別の意味を持っていましたが、共通して言える事は、施しの気持ちを大切にしようという事かも知れませんね。






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