2ヶ月くらい前の事ですが、地元の新聞にメモリアルダイヤの記事が載っていました。
メモリアルダイヤとは、遺骨、遺灰から炭素を抽出、精製して、高温高圧状態で生成するダイヤの事なんですって。
光の屈折率、硬度なども天然ダイヤモンドと同じと書かれていました。



最近では死別の深い悲しみに寄り添うグリーフケアとして、手元供養という形式が増えているようですね。
遺骨をオブジェにして手元に置いたり、ペンダントとして身につけたり。



遺骨の一部を持っているということは、言い換えれば分骨という事になります。
ある御住職は分骨宗教的に良くないとおっしゃいます。
仏さんにしてみれば、体(骨)の一部が無いわけですから、あの世でも不自由な生活を送る事になるそうです。
あの世でも生活があるかどうかは分かりませんが、言われてみれば納得出来る部分もあります。
また、故人の死に執着しすぎると、故人の魂が成仏出来ないという考えもあるようです。



一方、御釈迦さんの骨も各地に分骨されているのだから構わないという御住職もいらっしゃいます。




私は宗教家ではないので、手元供養や分骨という形式が良いのか悪いのかは分かりません。(まあ、やるかと言われたら私はやらないかな。)
グリーフケアという考え方自体は、大変素晴らしいと思うし、必要な事だと思います。
葬儀の際に遺族の方から手元供養がしたいという声が増えれば、葬祭業者さんも、その声に見合う対応を取ると思います。
お客さんの声をサービスに反映させるのも企業の役割ですから。



一方で手元供養に関して、宗教的によろしくないという意見があるのも事実です。
時代の流れに伴って価値観が変わる事は世の常ですが、最近は価値観の変化だけが先行してしまって、良いか悪いかという吟味がおざなりになっているように感じてしまいます。
無論変わることが悪いわけではないです。
ただ、死とか葬儀という考え方に対して、お寺は蚊帳の外みたいな印象をどうしても感じてしまうんですよね。
かと言って、お寺さんも声を大にして『ちょっと待った!』と言う訳でもない。
考えようによっては、これは由々しき事態です。



死とか葬儀に関して、宗教的思想を重んじるか、個人の価値観を重要視するか、そういった分岐点に差し掛かっているのかも知れません。







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