本日は母方の叔父の法事があった。
法要前にお寺の敷地内の喫煙スペースでタバコを吹かしていたら、見知らぬお婆さんが私に話しかけてきた。


お寺の近所に住んでいる89歳のお婆さん。
手には土が付いていた。
どうやらお寺の敷地内の草を取っていたようだ。


お婆さんとしばしの間、立ち話をした。
笑った顔がとても可愛らしく、肌もハリツヤがあり、とても89歳には見えない。


私は今とても幸せ。感謝しかない。


会話の中でそのフレーズが度々出てきた。
激動の昭和という時代を生きてきて、恐らく様々なご苦労もあっただろう。
それでも今こうして、自分が幸せであると言える生き様が素敵だった。
生き様は顔に出る。


『お兄ちゃん(人生の大先輩から見れば、40代の私はまだまだ小僧、ガキなのだ)、今日はきっといいことあるよ。仏さんに手を合わせれば必ず救ってくれる。』


そう言って、お婆さんは去っていった。


幸せの定義は人それぞれ。
どれだけお金があっても満たされずにいる人。
平凡な生活をしていても満たされている人、様々だ。



幸せは外側に求めるものではなく、自分の内側に感じるもの


そんな言葉を聞いたことがある。
外に求めるか、内に求めるか。
外に求める限り、手にしたらまた次を求めたくなる。
結局はいつまで経っても不足がつきまとう。

今そこにあるそれを、幸せと感じられる心、つまり自分の内側が大切なのだ。
お婆さんの顔を見ていて、そんな事を感じた。





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