今月の上旬の事であるが、公私共にお世話になっている富士市松野の法蓮寺様の大黒祭に参加させて頂いた。


毎年、大黒祭の前に、御住職方と希望者は共に水行を行う訳だが、今年も一年の御祓の意味を込めて、私も御一緒させて頂いた。


今年は例年に比べて、暖かい陽気ではあったが、一年にたった一度とは言え、やはり冬に褌一丁で水を被るのは冷たいものである。


褌はTバックスタイルの本格的なものではなく、尻が隠れる簡易型のタイプである。
とは言え、見せてはいけない物が褌からヒョッコリ顔を出さぬよう、念入りに褌を着用したのだが、前にばかり気を取られ、右の尻だけ異様に露出してしまい、妻から『よっ!半ケツ!』と水行直前に教えられ、ちょっと焦った。


知人からは『寒いのによく毎年やるよね。』なんて言われるが、水行が終わった後の何とも言えない清々しさは、やった人間にしか分からないだろう。
来年も是非御一緒させて頂きたい。


水行の後、本堂にて読経、そして大黒祭が執り行われた。
(大黒祭の詳細については過去のブログを参照のこと)


閉式の折、御住職方の法話があったが、その中でこんな言葉があった。


今日は皆様と一緒に、我々お坊さんも一生懸命お経を読ませて頂きました。功徳という物は、ポイントカードのように目に見えるものではございません。ですから、常日頃、続けていく事が大切です。お坊さんにお経を読んでもらったから大丈夫、ではなく、皆様も一緒になって手を合わせて、報恩感謝の気持ちを忘れない事が大切なんです。


こんな感じの内容だったと記憶しているが、本当仰る通りだと思った。
季節柄、木札の御注文を多く戴いているが、それは言い換えれば人々の願望の表れのようにも感じる。
例えば、商売繁盛だったり家内安全だったり。
人は何かの折に、神や仏に願いを託す。


私自身も、正月に神社を訪れ、お札を購入し、御祈祷してもらっている訳だが、先の御住職のお話にもあったように、お経を読んでもらったから大丈夫、御祈祷してもらったから大丈夫ではなく、肝心なのは最後は己の心だったり、日常の身の振舞いなのであろう。


手を合わせる心、人に感謝する心。
報恩感謝という言葉を突き詰めて行けば、行く着く先は先祖供養なんだと私は思う。
今の自分が存在しているのは、両親、そして先祖のお陰である。
先祖に感謝する気持ちを蔑ろにしてはいけないね。


法蓮寺様の大黒祭に参加させて頂き、御住職方のお話を聞いて、そんな事を感じた。